ゆうこはとてもおてんばさんで年中虫かごを首からぶら下げてちょうちょを追いかけてバッタンバッタンと東京の田園調布の空き地で真っ黒になって遊んでいるような子供でした。

髪型もパパと一緒に床屋さんで髪を刈り上げていたような、とてもピンクや女の子らしいとかが似合わない、近所でも男の子だと思われていて、銭湯に行ってみて初めて、女の子だったんですねってスカートをはいているのに言われるくらいでした。
遊びもお人形さんごっことかよりも、外で男の子に混じって真っ暗になるまで走り回っていました。何度も暗くなっても遊んでいて家に帰らないので、困ったお母さんは私を玄関の外に反省するように立たせていたほどです。

そのおてんばさんは幼稚園、小学校に行っても変わらずに、今度は形を変えて体育の時間が大好きで、運動会ではいつも1等賞でリレーの学年代表の選手になったり、水泳の時間にはスイミングスクールの子供よりも泳げて、小学校5年生の時にはすでに黒線3本、つまり最高級の値をクリアしてしまいました。それにはクロール50、背泳ぎ50、平泳ぎ50のタイムがあって、それをクリアして遠泳300mもこなしました。プールに端からもぐって25mプールの底を泳いで一度も上に出てはいけない?泳ぎもクリアしました。学年で一番早い黒線3本で、夏は毎日学校のプールか近所のプールで遊んでいたので、真っ黒に日焼けをしていてそれでいてお勉強もよくできて、よくオール5とかとっていて、近所のおば様たちには塾にも行ってないのに脅威で、ちょっと、よくおばちゃまにお顔を見せてちょうだいなんていわれていました。
勉強は学校で授業の時間にだけものすごく集中してするだけでした。あとは学校から帰ったら、玄関にランドセルを放り投げて暗くなるまで遊んでいました。

父は一度転職をして帝国ホテルの門を叩き修行して、洋食のソース部門に4年在籍してから、オリンピック前の区画整理前の旧テレ朝前の六本木に洋食屋さんを出してあたったそうです。
それからは食品流通センターや様々な食品部門を経営していたので、ゆうこは社長令嬢として育ちました。田園調布に住み、幼稚園も付属の幼稚園でピアノを習っていました。

母が編み物にあこがれていて近所の編み物教室にお邪魔していました。ゆうこも母に手を引かれながら、小さな時から編み物教室に入り、まずは鎖編みから自然に長編みまで覚えていきました。3年生の時にクラスでヘアバンドをモヘアの糸で編んでしていくのが流行り作ったのが最初でした。あとは長編みでマフラーなんかを編んでいました。

さすがに、ゆうこも乙女になると乙女心が芽生えてきました。ファッションや色彩に興味を示すようになりました。確か部活はテニス部でしたが手芸部とかにも在籍していました。

20歳の時に会社でとても大変な目にあって退社しました。そのときにあまりにも傷ついてしまい外出ができなくなってしまい家に篭りがちになりました。そのときに編み物を始めたのが今のゆうこの編み物ライフにつながっています。傷ついた心を癒しながら、作品を仕上げていく喜びなどを独学で学び、いつしかオーダーをこなすようになりました。

そして結婚してからしばらくして、市谷のヴォーグ学園東京校の手編み資格取得コースに通い、スタンダード、アドバンス、セミプロ、講師前期・後期を約3年で取得をして、マンションを購入し、自宅兼事務所として今のところにYUKOKNITHOUSEとして独立をしました。

ホームページを看板にして、工房タイプで作品を作りながら様々なニット活動をしています。

もちろん主婦でもありますので、主婦業兼ニット業になりますが、毎日忙しくしています。

小さな頃からピアノを本格的に習っていたことと、コンピューター会社でプログラマーの仕事をしていたことが幸いして手先が器用でコンピューターに強いところです。

欠点は主婦業もしなければならないところと、なんでも一人でやっているので不便なところです。
これからも細く長くYUKOKNITHOUSEを主宰していきます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

ゆうこのプロフィール